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小説「ジョニー・エンジェル」作:沙木実里
(1)不思議なおじさん 6月3日版
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(1)不思議なおじさんわたしが小さい頃、我が家にはいろいろな人が出入りしていた。昭和二十年代から三十年代は住宅事情がわるく、どこかの家のひと部屋を借りて住む人がいた。間借り人、下宿人、あるいは居候とよばれていた人たちだ。 我が家の居候たちは、大抵は両親のどちらかの血筋を引く。といっても中にはどう考えても親戚のどこにも当てはめようがない、ただ袖が振り合っただけの他生の縁的な人もいた。 「あの人、清一郎さんのとこの人かしらねえ」 「いや、満男さんのほうじゃないかね」 ときどき、両親は首を傾げて居候候補との血のつながりを探すのだが、最後には面倒になって、「ま、これも縁だ。少しの間、置いてやってもいいだろう」と血よりも濃い縁のほうを優先するのだった。 我が家が特別に広かったわけではないのだが、ひとつだけ空いていた部屋を、彼らは交代で住居にしていた。一週間で姿を消した人もいれば、一か月から数ヶ月間いる人もいた。 なかでも印象深いのは、みんなが「ゼンさん」と呼んでいた男性だった。本名は片桐禅之助。侍のような硬い名前だったが、実際には夢の中の約束のようにつかみどころのない人だった。 ゼンさんは身長が170センチくらい。160センチが標準だった当時の男性としては、大きいほうだ。年齢は30歳から40歳。子供だったわたしには大人の年齢は推測しにくく、またゼンさんは何年にもわたって我が家を出たり入ったりしていたから、実際には40歳以上、いや50歳くらいだったかもしれない。 ゼンさんが両親とどういう関係の人なのか、母に聞いても「遠縁の人」ということしか答えは返ってこない。小学生だったわたしは、遠縁というのは「わからない」という意味だと解釈していたくらいだった。 正式な居候になる何年か前から、ゼンさんはときどき家にふらりとやって来ては、楽しい話をして帰っていった。ゼンさんが来ると、知り合いの人がどこからともなく集まり、いつか宴会のような賑わいになった。小さかったわたしには、話の内容はよく理解できなかったが、父や母が楽しそうに笑っているのをみると、幸せな気分になった。もしかして、ゼンさんはわたしが生まれる前から家に出入りしていたのかもしれない。 「きょうからお世話になります」 廊下を隔てた向かい側の部屋からゼンさんが首を出したのは、わたしが小学校に入る前の年だった。ゼンさんの涼し気な目がわたしをがしっと捉えると、くっと背骨がまっすぐになった。 「ユーちゃん、よろしくね。何かあったらいって。なんでもするから」 後から考えるとおかしいのだが、ゼンさんはわたしと話すとき、女言葉を使った。居候の気遣いなのか、子供への慈愛の念か。 そのやさしい口ぶりに、わたしの背骨はすっかりゆるんだ。ただ、わたしの名前をユーちゃんと呼ぶのが不満だった。 「あのねぇ、わたしはユーちゃんじゃないのよ」 何度そう抗議したことか。そのたびに「どうして?ユーっていうのは、英語であなた様っていう意味だよ。尊敬している人に使うんだから、いいじゃない」 そう言われて、なんとなく納得した。 ゼンさんは朝からいないこともあれば、夕方から出かけることもあった。何をしている人か母に訊ねたが、「あまり人様のことを詮索してはいけません」とたしなめられた。本当は母もゼンさんが何者なのか、実体を掴めていないような気がしていた。(つづく)
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