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(1)不思議なおじさん

 わたしが小さい頃、我が家にはいろいろな人が出入りしていた。昭和二十年代から三十年代は住宅事情がわるく、どこかの家のひと部屋を借りて住む人がいた。間借り人、下宿人、あるいは居候とよばれていた人たちだ。

 我が家の居候たちは、大抵は両親のどちらかの血筋を引く。といっても中にはどう考えても親戚のどこにも当てはめようがない、ただ袖が振り合っただけの他生の縁的な人もいた。

「あの人、清一郎さんのとこの人かしらねえ」

「いや、満男さんのほうじゃないかね」

 ときどき、両親は首を傾げて居候候補との血のつながりを探すのだが、最後には面倒になって、「ま、これも縁だ。少しの間、置いてやってもいいだろう」と血よりも濃い縁のほうを優先するのだった。

 我が家が特別に広かったわけではないのだが、ひとつだけ空いていた部屋を、彼らは交代で住居にしていた。一週間で姿を消した人もいれば、一か月から数ヶ月間いる人もいた。

 なかでも印象深いのは、みんなが「ゼンさん」と呼んでいた男性だった。本名は片桐禅之助。侍のような硬い名前だったが、実際には夢の中の約束のようにつかみどころのない人だった。

 ゼンさんは身長が170センチくらい。160センチが標準だった当時の男性としては、大きいほうだ。年齢は30歳から40歳。子供だったわたしには大人の年齢は推測しにくく、またゼンさんは何年にもわたって我が家を出たり入ったりしていたから、実際には40歳以上、いや50歳くらいだったかもしれない。

 ゼンさんが両親とどういう関係の人なのか、母に聞いても「遠縁の人」ということしか答えは返ってこない。小学生だったわたしは、遠縁というのは「わからない」という意味だと解釈していたくらいだった。

 正式な居候になる何年か前から、ゼンさんはときどき家にふらりとやって来ては、楽しい話をして帰っていった。ゼンさんが来ると、知り合いの人がどこからともなく集まり、いつか宴会のような賑わいになった。小さかったわたしには、話の内容はよく理解できなかったが、父や母が楽しそうに笑っているのをみると、幸せな気分になった。もしかして、ゼンさんはわたしが生まれる前から家に出入りしていたのかもしれない。

「きょうからお世話になります」

 廊下を隔てた向かい側の部屋からゼンさんが首を出したのは、わたしが小学校に入る前の年だった。ゼンさんの涼し気な目がわたしをがしっと捉えると、くっと背骨がまっすぐになった。

「ユーちゃん、よろしくね。何かあったらいって。なんでもするから」

 後から考えるとおかしいのだが、ゼンさんはわたしと話すとき、女言葉を使った。居候の気遣いなのか、子供への慈愛の念か。

 そのやさしい口ぶりに、わたしの背骨はすっかりゆるんだ。ただ、わたしの名前をユーちゃんと呼ぶのが不満だった。

「あのねぇ、わたしはユーちゃんじゃないのよ」

 何度そう抗議したことか。そのたびに「どうして?ユーっていうのは、英語であなた様っていう意味だよ。尊敬している人に使うんだから、いいじゃない」

 そう言われて、なんとなく納得した。

 ゼンさんは朝からいないこともあれば、夕方から出かけることもあった。何をしている人か母に訊ねたが、「あまり人様のことを詮索してはいけません」とたしなめられた。本当は母もゼンさんが何者なのか、実体を掴めていないような気がしていた。(つづく)

 

 <沙木実里(さきみのり)プロフィール>

東京生まれ。東レ、カナダ大使館などに勤務の後、フリーライターに転向。朝日新聞社主催のエッセイコンクール入選を機に、企業PR誌やラジオ原稿を執筆。また夫の歌うシャンソンの日本語詞を手掛け、「今日でお別れ」の作曲家、宇井あきら氏のオリジナル作品に作詞をする。作品は、有楽町マリオンで開催されたコンサートにて、石井好子、菅原洋一などによって歌唱、披露された。

現在は「調布FMラジオ」で、1時間番組「気分はいつもブルースカイ」のパーソナリティを務め、企業の経営者や芸術家など、多彩なゲストを迎えている。同番組は開局以来20年を経て、現在も継続中。

【受賞歴】

岡山県井原鉄道特別列車「夢やすらぎ号」命名

第40回 北日本文学賞「軒の雫」にて選奨受賞

第10回 長塚節文学賞「風の櫛」にて小説部門大賞受賞 ほか

ソングコンテストグランプリ2019(日本作詩家協会、日本作曲家協会の共同企画)で「FLY〜旅立ち」にて最優秀作詩賞を受賞。11月より歌手のクミコにより歌唱、CD発売される。

<お断り>

この作品は、詩人の清水哲男氏主宰の会員制WEB週刊誌「ZouX」(ゾーテン)に掲載したものに加筆、修正したものです。作品はフィクションです。作中の登場人物は実在の人物とは一切関係ありません。

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