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(18)ゼンさんを守る

 みっちゃんの家からは、ときどき喧嘩をする声が聞こえてきた。我が家とみっちゃんの家の間には幾分かの空いた土地があるのに、耳を澄まさなくても、言い合う声はわたしの家までとどいた。喧嘩の内容はつつ抜けで、盗み聞きをしているようでいやだ、と母は眉根を寄せた。
 喧嘩はみっちゃんのお母さんを中心に展開し、対戦相手がその都度変わった。一番多いのはお兄ちゃんで、それは思春期のせいだ、とゼンさんが理由づけた。みっちゃんの金切り声が高らかに響くときもあったが、みっちゃんのお父さんの声はほとんど聞こえてこない。一方的にお母さんの怒り狂う声ばかりで、お父さんの声はちいさすぎるのか、それとも一切の争いを避けているのか。事実を確かめる方法はなかった。
 みっちゃんのお兄ちゃんとの言い合いの原因は主に進学問題で、みっちゃんの場合は勉強のことから洋服や食べ物など、喧嘩のタネはかぎりなかった。
 みっちゃんのお父さんは会計士で、もの静かだ。見るからに謹厳実直なのに、みっちゃんのお母さんはいつもお父さんの浮気を気にかけているようだった。「あー、また銀座ですか」というお母さんの声が震えていることもあった。
 たまにお兄ちゃんが激して、みっちゃんの家の知られていなかった内状がばれることがあった。
「そんなに勉強、勉強っていうなよ。自分は旅芸人だったんだろ」とか「おやじの金が目当てだったんだろ」とか、聞こえてしまったこちらが身を縮めるようなこともあった。
 そうか、みっちゃんのお母さんはすごくきれいだと思ったら、旅芸人だったんだ。みっちゃんのお母さんの赤い口紅が一段と赤々とわたしの脳裏をよぎる。 
 わたしの胸は一段とさわいだ。いつかみっちゃんの家に行ったとき、みっちゃんのお母さんはゼンさんのことを熱心に訊いた。それだけのことなのに、ある種の危機が迫っているのを感じた。
 ゼンサンガアブナイ。ゼンサンガアブナイ。それは宇宙からの伝達のようでもあった。
 翌日から、ゼンさんが帰ってくる頃になるとわたしは門の近くに視線を走らせるようになった。みっちゃんのお母さんが、掃除をするふりをして帚をもって出てくるかもしれない。ゼンさんが道の向こうに姿を現すと、わたしは門まで走り寄る。そのときはみっちゃんのお母さんもゼンさんに気づいて、明るい笑みで顔を満たしている。いつものように真っ赤な口紅を差しているみっちゃんのお母さんが、魔女に見えた。
「あーら、ゼンさん、おかえりなさーい」
 みっちゃんのお母さんが、喧嘩のときとは別人の声でいう。
「オカエリナサイ、ゼンサン、ンご〜」
 わたしは無機質な声でゼンさんを迎え、みっちゃんのお母さんから引き剥がすように、ゼンさんの手を引いて家に入る。
「ゼンさんって、モンローなの?ヘップバーンなの?どっちなの?」
「なんだ、それ」
 突然の質問に、ゼンさんは目を丸くする。どっちが好きかって訊いているのに。
「うーん、どっちともいえないよ。男っていうのはね、二面性があるからね」
 それからゼンさんは、おもむろにいった。
「男って書いて、うわきもの、って読むんだよ」
 へえ、そうなの。でも、どちらかを選ばないないなんて。前にモンローと答えるのを期待していたのに、「両方すき」とゼンさんが答えたとき、みっちゃんが怒ったことがあった。
 わたしは「どっちともいえない」と答えたゼンさんに憤慨した。せっかくみっちゃんのお母さんから守ってあげたのに、という意味で。(つづく)

<沙木実里(さきみのり)プロフィール>
東京生まれ。東レ、カナダ大使館などに勤務の後、フリーライターに転向。朝日新聞社主催のエッセイコンクール入選を機に、企業PR誌やラジオ原稿を執筆。また夫の歌うシャンソンの日本語詞を手掛け、「今日でお別れ」の作曲家、宇井あきら氏のオリジナル作品に作詞をする。作品は、有楽町マリオンで開催されたコンサートにて、石井好子、菅原洋一などによって歌唱、披露された。
現在は「調布FMラジオ」で、1時間番組「気分はいつもブルースカイ」のパーソナリティを務め、企業の経営者や芸術家など、多彩なゲストを迎えている。同番組は開局以来20年を経て、現在も継続中。
【受賞歴】
岡山県井原鉄道特別列車「夢やすらぎ号」命名
第40回 北日本文学賞「軒の雫」にて選奨受賞
第10回 長塚節文学賞「風の櫛」にて小説部門大賞受賞 ほか
ソングコンテストグランプリ2019(日本作詩家協会、日本作曲家協会の共同企画)で「FLY〜旅立ち」にて最優秀作詩賞を受賞。11月より歌手のクミコにより歌唱、CD発売される。
<お断り>
この作品は、詩人の清水哲男氏主宰の会員制WEB週刊誌「ZouX」(ゾーテン)に掲載したものに加筆、修正したものです。作品はフィクションです。作中の登場人物は実在の人物とは一切関係ありません。

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