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(31)おばちゃまのジミー

 新劇女優の松村夏子さんが、お友達を連れてきた。髪にくるくるのパーマをかけ、青いアイシャドウとピンク色の口紅の、外国人のような女性だ。
「大森和代です。わたしはね、外国映画が大好きなのよぅ」
 少ししゃがれた声で、大森和代さんは自己紹介した。語尾を伸ばすように話すのが特徴だ。映画の話になるとすっかり若返って、夢見る少女に変身する。
「もうジミーしかいないわ」
 当時、ジミーとかメリーというのは、犬の名前と決まっていた。大森和代さんがいったジミーは、テレビの「名犬ラッシー」のような犬だろうか。ラッシーは賢いけれど、飼うとなったらもう少し小さいほうがいいな。大きい犬は、散歩のときに引っ張られてしまいそうだもの。わたしはスピッツやテリアなどの犬を思いうかべた。
「ジミーは俳優さんよ。でも、もう死んでしまったのぅ」
 ジミーはスピッツでもテリアでもなかった。
 ジェームス・ディーンのデビュー作「エデンの東」は昭和三十年に日本で公開されたが、本人はその公開の前年に自動車事故で死んでしまった。その後何本かの映画が発表されたが、何回見ても泣ける、と大森和代さんは声を振りしぼった。
「ジミーはねえ、永遠なのよぅ」
 死んだ恋人をしのぶように、和代さんはしんみりした。
「でもさぁ、もう死んじゃったんでしょ、しょうがないじゃない」
 きょうは学習塾がない日だから、と遊びにきたみっちゃんがいつものように鋭く切り込んだ。「あ、あ」と返事の仕様もないといった感じで和代さんがみっちゃんを見つめる。
「それに、ああいう不良っぽい男は要注意だって、うちのお母さんがいってた」
 みっちゃんのお母さんは、機会があるごとに男性の見方を教えているようだ。みっちゃんの価値観がそうやって育っていく。
「そ、そんな」
 和代さんは切り返す言葉を探しているのだろうか、口元で言葉がからまってしまったようだ。
「おばちゃん、そんなんじゃ先ゆき結婚もできへんでぇ。もっと固いとこを見んと」
 うぐっ、と和代さんが絶句した。
「おば、おば、おばちゃん!」
 流行の先端を行く、カルダンのワンピースを着た和代さんは、おばちゃんとよばれたショックに気絶しそうだ。
「じゃあ、こんどからおばちゃま、ってよんであげる」
 みっちゃんは髪をとかすようにさらさらといって、家に帰った。
 松村夏子さんは「ま、子供のいうことだから」とあまり気にする様子はない。
 うん、とうなずいた和代さんに、「ま、子供は正直だからねぇ」と夏子さんが付け加え、和代さんの顔がふたたび引きつった。
「あの、お茶でも」
 何をどういっていいか迷うと、お茶をすすめるのが母の法則だ。
 お茶だけでは場の雰囲気を変えられないと察した母が、ラジオのスイッチをひねった。三波春夫の「チャンチキおけさ」が流れてきた。知らぬ同士が小皿をたたいてせつない、という意味のわからない哲学的歌詞と陽気な高い声が、聞いている者に思わず小皿と箸を用意させるような歌だ。大森和代さんは、ずるっと音をさせてお茶をすすった。涙がお茶といっしょに呑み込まれるようだった。(つづく)

<沙木実里(さきみのり)プロフィール>
東京生まれ。東レ、カナダ大使館などに勤務の後、フリーライターに転向。朝日新聞社主催のエッセイコンクール入選を機に、企業PR誌やラジオ原稿を執筆。また夫の歌うシャンソンの日本語詞を手掛け、「今日でお別れ」の作曲家、宇井あきら氏のオリジナル作品に作詞をする。作品は、有楽町マリオンで開催されたコンサートにて、石井好子、菅原洋一などによって歌唱、披露された。
現在は「調布FMラジオ」で、1時間番組「気分はいつもブルースカイ」のパーソナリティを務め、企業の経営者や芸術家など、多彩なゲストを迎えている。同番組は開局以来20年を経て、現在も継続中。
【受賞歴】
岡山県井原鉄道特別列車「夢やすらぎ号」命名
第40回 北日本文学賞「軒の雫」にて選奨受賞
第10回 長塚節文学賞「風の櫛」にて小説部門大賞受賞 ほか
ソングコンテストグランプリ2019(日本作詩家協会、日本作曲家協会の共同企画)で「FLY〜旅立ち」にて最優秀作詩賞を受賞。11月より歌手のクミコにより歌唱、CD発売されている。
<お断り>
この作品は、詩人の清水哲男氏主宰の会員制WEB週刊誌「ZouX」(ゾーテン)に掲載したものに加筆、修正したものです。作品はフィクションです。作中の登場人物は実在の人物とは一切関係ありません。

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