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(44)魔法使い

 ゼンさんはいつもおしゃれだ。持っている服や靴の数は少ないが、いいものを着ていた。マンボズボンもアロハシャツも、誰よりも早く取り入れ、街じゅうで多く見かけるようになると、ゼンさんはそれらを着るのをやめた。腕時計や靴は欧米の高価なものらしかった。
 不思議なのは、ときどき持っていたものが消えたり、またすぐに復活することだ。ときには戻ってきたものが、前とは別のものになっていたりする。なかでもその頻度が高いのは腕時計で、ゼンさんの腕にある時計で、腕時計のブランドの数々を知った。
「どうして、そんなにとりかえるの?」
 わたしの質問に、ぜんさんは「うーん、腕がそうしてほしいと言ってるからね」と明確ではない答えをよこした。
 わたしにはゼンさんが魔法使いのように思えた。多分ゼンさんは持っている腕時計にあきると、ナンジャモンジャと呪文を唱える。そして「新しい時計を、この手首にまかれよ」と手をかざすと、ジャーン、と別の時計がやってくるのだ。
 ゼンさんの行動を観察すれば、なにかがわかるかもしれない。わたしはいつになく強い好奇心に動かされ、出掛けようとするゼンさんにしがみついた。
「あのさぁ、これから行くところは、絶対にだれにもいわないの、約束だよ」
「はいはい、いいですよ」
 もうじき中学生になるわたしは、いくらか賢くなった。「なぜ?」「どうして?」ばかりを連発していたこれまでと比べれば、疑問は疑問のままにして「いいですよ」といえるようになった成長を喜びたい。
 電車でいくつかの駅を過ぎて、降りた。ここはどこ?と聞きたい気持ちをなんとか鎮めた。それは時代劇の捕り物で、犯人を取り押さえる十手使いが、下手人逮捕の前に気持ちを整えるのに似ている。
 小さな店が立ち並ぶ駅前の商店街を通り、ゼンさんがひょいと路地に入った。路地の両側に店はなく、しんとした静けさが歩く道の上を覆っている。ゼンさんは慣れた足取りで、目立たない店の暖簾をくぐった。店の脇に、七という字を○で囲んだ印があったが、それがどういう意味なのか、わたしは知らなかった。
 店の戸を開けると、小さな土間があった。土間とその向こうの部屋の間にはカウンターの仕切りがある。奥は畳の部屋になっていて、着物を着た中年の男の人が机に向かって座っていた。黒ぶちのメガネをかけ頭には黒いニット帽。店に人がはいってきた気配に気づいた上げた顔は、だれかに似ていた。ゼンさんを見ると、その人は表情を変えずに、うん、とうなずいてカウンターをはさんでゼンさんと向き合った。ゼンさんが時計を腕からはずし、男の人が手に取った。
 だれだっけ。わたしの脳細胞がチリチリと動いていた。ニット帽に見覚えがある。黒ぶちのメガネがなければ、だれだったか。
 男の人がわたしを見た。ぎろり、と音がするような速い目の動きだった。息がつまりそうだった。メガネをはずせば、会計士だと聞いているみっちゃんのお父さんにそっくりだ。
 座敷の奥にあるラジオからコニー・フランシスの「カラーに口紅」が低く聞こえてきた。(つづく)

<沙木実里(さきみのり)プロフィール>
東京生まれ。東レ、カナダ大使館などに勤務の後、フリーライターに転向。朝日新聞社主催のエッセイコンクール入選を機に、企業PR誌やラジオ原稿を執筆。また夫の歌うシャンソンの日本語詞を手掛け、「今日でお別れ」の作曲家、宇井あきら氏のオリジナル作品に作詞をする。作品は、有楽町マリオンで開催されたコンサートにて、石井好子、菅原洋一などによって歌唱、披露された。
現在は「調布FMラジオ」で、1時間番組「気分はいつもブルースカイ」のパーソナリティを務め、企業の経営者や芸術家など、多彩なゲストを迎えている。同番組は開局以来20年を経て、現在も継続中。
【受賞歴】
岡山県井原鉄道特別列車「夢やすらぎ号」命名
第40回 北日本文学賞「軒の雫」にて選奨受賞
第10回 長塚節文学賞「風の櫛」にて小説部門大賞受賞 ほか
ソングコンテストグランプリ2019(日本作詩家協会、日本作曲家協会の共同企画)で「FLY〜旅立ち」にて最優秀作詩賞を受賞。昨年11月に歌手のクミコにより歌唱、CD発売された。
<お断り>
この作品は、詩人の清水哲男氏主宰の会員制WEB週刊誌「ZouX」(ゾーテン)に掲載したものに加筆、修正したものです。作品はフィクションです。作中の登場人物は実在の人物とは一切関係ありません。

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