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(49)ゼンさんの恋

 一時水泳部に移ったみっちゃんは、ふたたび体操部に戻ったが、増えてきた体重に悩まされていた。鉄棒を握るのも平均台の上を歩くのもきつい。だが、いちばん悲しいのはマット運動だという。
「まるでオキアガリコボシみたいなんだもん」
 太くなった胴まわりをさすりながら、みっちゃんは退部する決意を固めようとしていた。オキアガリコボシはぴったりの表現だが、みっちゃんに賛同の声は上げられず、どうすれば楽に体重を減らせるかを考えることにした。といっても話し合うほどのことはない。みっちゃんの食生活をみると、原因は食べ過ぎに決まっている。食事をするときに悠然とおかわりをするみっちゃんだ。おかわりをひかえれば、何らかの変化は得られるはずだ。
「や、やっぱり、ご飯のせいじゃない?」
 遠慮がちに提言すると、みっちゃんは意外とあっさりと「そうよね」とうめいた。怒る原動力をぜい肉に取られてしまったか。
「これから晩ご飯はユーちゃんの家に行く」という新しい発想は、まったく意味が不明だった。
 夕方、ほんとうにみっちゃんはやってきた。
「お世話になります」と母に正しいあいさつをした。自分の家だと、どうしてもおかわりをしてしまうが、人の家なら遠慮するから、というのが夕食をわたしのところでする理由だった。あれでも少しは遠慮していたのか、と毎回みっちゃんがのびのびとお茶碗を差し出す腕を思いうかべた。
「もし、おかわり、っていったら、だめっていってね」
 そんなこといったら怒り狂うのではないか、と小さく恐れながら、体操部に残るために必死に努力しようとするみっちゃんは、えらいと思った。
 ゼンさんの部屋から悲し気な音楽が聞こえてくる。「カタリ、カタリ」という曲だ。昔は「つれない心」といっていた。
「あ、ゼンさんが恋してるときのテーマ曲だ」とみっちゃんが天井を見上げた。昔からゼンさんの恋は一度も実ったことがない。
「かわいそうに、いい男なんだけどなぁ」
 みっちゃんは腕組みをしてゼンさんの身を案ずる。自分の体重のことはすっかり忘れてしまったようだ。
 食事も取らずに、ゼンさんはまだおなじ曲を聞いている。
 期末試験が近づいている。それなのに必死になることはない。みっちゃんは余裕、わたしは相変わらずの愚図、という理由で。
「よし、いちばん大切な所に印をつけるから、とにかくそこを暗記する。いいわね」
 みっちゃんが手早く教科書に赤い印をつけていく。くるくると回る赤鉛筆の先。ぱらぱらとめくられる教科書。教科書と鉛筆を操るみっちゃんの手は神の手だ。
「それにしても」とみっちゃんがゼンさんのいる二階を見上げる。
「カタリ、カタリ」はまだ繰り返し流れている。
「ゼンさんの恋の相手はだれだと思う?」
 さあ、ヘップバーンか誰かなんじゃない?というわたしに、みっちゃんは鼻をひくつかせた。
「ほんとうは、ユーちゃんのお母さんが好きなんじゃないかなぁ、ゼンさん」
 強烈な爆弾だった。(つづく)

<沙木実里(さきみのり)プロフィール>
東京生まれ。東レ、カナダ大使館などに勤務の後、フリーライターに転向。朝日新聞社主催のエッセイコンクール入選を機に、企業PR誌やラジオ原稿を執筆。また夫の歌うシャンソンの日本語詞を手掛け、「今日でお別れ」の作曲家、宇井あきら氏のオリジナル作品に作詞をする。作品は、有楽町マリオンで開催されたコンサートにて、石井好子、菅原洋一などによって歌唱、披露された。
現在は「調布FMラジオ」で、1時間番組「気分はいつもブルースカイ」のパーソナリティを務め、企業の経営者や芸術家など、多彩なゲストを迎えている。同番組は開局以来20年を経て、現在も継続中。
【受賞歴】
岡山県井原鉄道特別列車「夢やすらぎ号」命名
第40回 北日本文学賞「軒の雫」にて選奨受賞
第10回 長塚節文学賞「風の櫛」にて小説部門大賞受賞 ほか
 ソングコンテストグランプリ2019(日本作詩家協会、日本作曲家協会の共同企画)で「FLY〜旅立ち」にて最優秀作詩賞を受賞。昨年11月に歌手のクミコにより歌唱、CD発売された。
<お断り>
この作品は、詩人の清水哲男氏主宰の会員制WEB週刊誌「ZouX」(ゾーテン)に掲載したものに加筆、修正したものです。作品はフィクションです。作中の登場人物は実在の人物とは一切関係ありません。

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