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(20)波打つ金髪

 両親を抵抗なくパパママと呼べるようになるには、多少の時間とかなりな精神力が必要だった。心が軟体動物と自認するゼンさんは、いままで「はい、奥様」といっていたのを「はい、ママ」と即座に切り替えるのに成功した。
「ゼンさんって、ほんとになんでもできるのね」
 わたしは自分の不器用さをなげいた。
「ユーちゃん、名前なんてものはね、単なる仮の姿さ。芸能人の芸名だって、仕事だけで使っているわけだから。オードリー・ヘップバーンの本名だって、ぜんぜんちがうんだから」
 ゼンさんはさすがに物知りだなぁ。と感心した。じゃあ、ヘップバーンの本名はというと、「きまっているじゃない、コッペパンよ」と平然といった。
 ヘップバーンの本名がコッペパンでないのは明らかで、ゼンさんのいわんとするところは別にある。ヘップでもコッペでもかまわない、そのくらい呼び名に執着しなくてもいいということだ。だからわたしはユーちゃんになったのだった。
 お父さんはパパ、お母さんはママ。わたしは一日中それを口の中で繰り返した。いうたびにお尻がむずむずしてくる。
 学校に行っても、だれにも気づかれないように、そっといってみた。そうでもしなければ、口が「お父さん、お母さん」の形に固定している。いきなりパパママと動いてくれないのだ。「パパママ、パパママ」とお経のように唱えて慣れるしかない。
「あたしもそうだったのよ」とみっちゃんが同情した。
「大阪から東京に来るときにね、お父さん、お母さんに変わったの。それまでおとうちゃん、おかあちゃんだったのに」
 そういいながら、みっちゃんはククと笑い、それからふと不安そうな顔になった。
「うちもそのうちパパママになるのかなぁ。なんだかかったるいなぁ」
 同じ悩みをかかえると友情の絆は強くなる。みっちゃんも将来に備えて、いっしょに「パパママ」を練習することにした。
「最初のパのほうを強くいうのかしら。後ろのほうのパかしら」
  パーパか、 パパーか、それからふたりで議論した。よくゼンさんが聴いているアメリカの音楽で、すこし前にヒットした歌に「パパーヤママ」と歌っているのがあった。それだと前のほうのパが強くなる。でも、あれは「パ・パ・ヤ・ママとジャケットに書いてあったから、パパのことではないかもしれない。パパが出てくるもうひとつの歌の「オーマイパパ」という歌では、「パパァ」といっていたみたいだ。
「結局、どっちでもいいということじゃない?」
 みっちゃんは今やすっかり身についた、きれいな東京言葉で結論を出した。
 でも、とわたしはきのう父がいきなり放ったアメリカ宣言を思い出す。
「うちのお父さん、あ、ちがった、うちのパパは家をアメリカにしてどうするつもりなんだろう」
 そうよねぇ、とみっちゃんが思慮深い顔をした。
 アメリカは地図をのぞくと、大きな海のずっと向こうにある。とてもすぐには行けそうもない遠い国だ。
 腕組をして考えていたみっちゃんが、目を輝かせた。
「ユーちゃんのパパって、アメリカに行って、アメリカ人になるつもりなんじゃない?」
 きっとそのほうが儲かるんじゃないか、とみっちゃんんは自信満々だ。
 まさか。そう思いながら、わたしは父の髪が金髪に波打つのを想像した。
(つづく)

<沙木実里(さきみのり)プロフィール>
東京生まれ。東レ、カナダ大使館などに勤務の後、フリーライターに転向。朝日新聞社主催のエッセイコンクール入選を機に、企業PR誌やラジオ原稿を執筆。また夫の歌うシャンソンの日本語詞を手掛け、「今日でお別れ」の作曲家、宇井あきら氏のオリジナル作品に作詞をする。作品は、有楽町マリオンで開催されたコンサートにて、石井好子、菅原洋一などによって歌唱、披露された。
現在は「調布FMラジオ」で、1時間番組「気分はいつもブルースカイ」のパーソナリティを務め、企業の経営者や芸術家など、多彩なゲストを迎えている。同番組は開局以来20年を経て、現在も継続中。
【受賞歴】
岡山県井原鉄道特別列車「夢やすらぎ号」命名
第40回 北日本文学賞「軒の雫」にて選奨受賞
第10回 長塚節文学賞「風の櫛」にて小説部門大賞受賞 ほか
ソングコンテストグランプリ2019(日本作詩家協会、日本作曲家協会の共同企画)で「FLY〜旅立ち」にて最優秀作詩賞を受賞。11月より歌手のクミコにより歌唱、CD発売される。
<お断り>
この作品は、詩人の清水哲男氏主宰の会員制WEB週刊誌「ZouX」(ゾーテン)に掲載したものに加筆、修正したものです。作品はフィクションです。作中の登場人物は実在の人物とは一切関係ありません。

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