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(6)馬の笑顔

 父を泥棒と間違えた一件を聞いて、ゼンさんは自分が留守をしていたのがいけなかったと責任を感じた。自分の留守中にも絶えず誰かが家にいるように、と代理の居候を手配したのだ。代理の居候はゼンさんの友達か、そのまた友達か、ずっと何回も「そのまた友達」を繰り返した知り合いだった。
 彼等の職業は、役者や歌手、漫画家、ダンサー、作家など。

いずれも本人たちがそう名乗っていただけで、実際のところは確かではない。共通していたのは、職業の前に「売れない」という形容詞がのるか、あるいは職業の後に「〜の卵」がつくかだった。
 あるとき、漫画家志望のテツカさんという男性が来た。まだ大学生で、自己紹介のときに「テツカカズオといいます。

略してテツカズです」といって小柄な体に似合わない豪快な笑い方をした。
 テツカさんはアメリカの漫画を研究していて、部屋には英語の新聞が重なっていた。テツカさんの描いた絵を覗くと、歯を出して笑った馬や、泣いている犬などの動物ばかりだった。
「おもしろいマンガはないの?」とわたしが訊くと、テツカさんは「ボクはね、ひと目で意味がわかる絵を描いているんだよ。一種の芸術なんだよ」と答えた。
 我が家の食事はゼンさんもいっしょで、ゼンさんがいないときは代理の居候が食卓に加わった。ゼンさんは背が高いのに小食でスタイルがいいのだが、テツカさんは背は低く、体も細いのに大食漢だった。ゼンさんのときとおなじように炊いたご飯はすぐになくなり、母はあわてておそばを茹でた。
「奥さま、おいしいですね。ゼンさんのいったとおりだ」
 おそばが全部なくなっても物足りないような顔をしているテツカさんに、母は小麦粉を溶いて焼き、お砂糖をまぶしたお菓子を作った。この人に長居されたら、我が家は深刻な状態に陥ってしまう。母は心の中でそう思ったにちがいないが、顔には出さずに里芋やじゃがいも、お豆腐をたくさん使った総菜を加えた。
 テツカさんが来て一週間後に、ゼンさんからの「アスカエル」電報が届き、我が家は破産を免れた。母の安堵する息が聞こえたようだった。テツカさんは家を出るときに、「お礼に似顔絵を描かせてください」と言った。
 母はりんご箱を持ち出し、居間の中央に置いた。当時は空のりんご箱は机になったり、椅子になったり、利用方法も様々で重宝された。
 わたしは空のりんご箱を裏返して椅子にして座り、足を揃え、手を膝の上で握った。背筋を伸ばして座ったまま、気をつけの姿勢になった。
「ユーちゃん、そんなに緊張しなくてもいいよ。はい、笑って」
 わたしはいわれたとおり、にっと口を広げて歯を出した。
「うん、いい笑顔だね」
 テツカさんはわたしと手元の画用紙を交互に見ながら、鉛筆を走らせた。ときどき「うん、なかなかいい目だね」とか「顎の線もいいよ」などと独り言をいった。思ったより時間がかかり、りんご箱に接しているお尻が痛くなってきた。
 やっと出来上がった絵は、わたしの笑った顔のはずなのに、到底そうは見えない。わたしの歯はこんなに出ているの?わたしの鼻はこんなに丸い?テツカさんの絵のどこにも、わたしに似ているところは見当たらなかった。写実と抽象の差もわからず、デフォルメの手法も知らないまま、お礼をいう声が湿った。
 長い間りんご箱に座って、すっかりお尻が痛くなったのも気に入らなかった。二度と絵のモデルなんかしないぞ、と心に誓った。テツカさんの描いた絵は、前に見せてもらった歯をむき出して笑っている馬とそっくりだった。(つづく)

<沙木実里(さきみのり)プロフィール>
東京生まれ。東レ、カナダ大使館などに勤務の後、フリーライターに転向。朝日新聞社主催のエッセイコンクール入選を機に、企業PR誌やラジオ原稿を執筆。また夫の歌うシャンソンの日本語詞を手掛け、「今日でお別れ」の作曲家、宇井あきら氏のオリジナル作品に作詞をする。作品は、有楽町マリオンで開催されたコンサートにて、石井好子、菅原洋一などによって歌唱、披露された。
現在は「調布FMラジオ」で、1時間番組「気分はいつもブルースカイ」のパーソナリティを務め、企業の経営者や芸術家など、多彩なゲストを迎えている。同番組は開局以来20年を経て、現在も継続中。
【受賞歴】
岡山県井原鉄道特別列車「夢やすらぎ号」命名
第40回 北日本文学賞「軒の雫」にて選奨受賞
第10回 長塚節文学賞「風の櫛」にて小説部門大賞受賞 ほか
ソングコンテストグランプリ2019(日本作詩家協会、日本作曲家協会の共同企画)で「FLY〜旅立ち」にて最優秀作詩賞を受賞。11月より歌手のクミコにより歌唱、CD発売される。
<お断り>
この作品は、詩人の清水哲男氏主宰の会員制WEB週刊誌「ZouX」(ゾーテン)に掲載したものに加筆、修正したものです。作品はフィクションです。作中の登場人物は実在の人物とは一切関係ありません。

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